リコッタチーズを使ったピッツァ2品
カテゴリー: 料理:穀・粉類
前記事でピッツアの先祖がフォカッチャであることをご紹介したのですが、折角だからピッツァも作ってみましょう。自家製のリコッタチーズ(カッテージチーズ)つながりでここまで来ていますので、その路線は活かしたいと思います。それではリコッタチーズを使ったちょっと変わったピッツアを2品をご紹介します。
生地作りは前記事のホカッチャと同じでも構いませんが、ピッツアの本場、イタリアのナポリでは生地にオリーブオイルを混ぜてはならないそうです。



参考までに分量は、イタリアンタイプの薄焼き生地の場合、直径22cm1枚につき、強力粉100g、ドライイースト2g、砂糖2g、塩2g、ぬるま湯65mlとなります。予備発酵をかける場合は分量のぬるま湯に砂糖とイーストを溶かします。生地作りは前記事を参考にして下さい。
今日はペスト(バジルペースト)とリコッタチーズを使ったジェノバ風のピッツァPizza alla genovese とリコッタチーズを包み込んで焼いたピッツァ、カルツォーネ(リピエノ)Calzone ripieno di ricottaを作ります。
まずは、ペストのピッツァですが、いつものように天板のスペースを無駄にしないように長方形に生地を延ばし、ペストを塗っていきます。さらに、リコッタチーズとオニオンもトッピング。

ペストはバジルペーストのことで、フランスではピストゥ呼びます。新鮮なバジルの葉とニンニク、ナッツ、オリーブオイル、塩、チーズから作ります。作り方はこちらをご覧下さい。このペストは去年の夏に作って、冷凍していたものです。
もう一品のカルツォーネに包む材料ですが、リコッタチーズの他には、ゴーダチーズ、ハム、エリンギ、黒オリーブ、イタリアンパセリです。

これらを小口に切って混ぜ合わせ、塩胡椒しておきます。
これは愛用のイタリア製のデロンギ・コンベクション・オーブン。小型ながら、高機能、しかも故障知らずなので最終的に行き着きました。何よりありがたいのは、天板サイズのピッツァストーンが標準で付いていること。詳細はこちらをご覧下さい。 
特にイタリアのピッツアのようにクリスピーに生地を焼く場合は、本来、石釜が必要ですが、ピッツアァ・ストーンを使えば下面からも水分を飛ばしながら焼き上げますので、裏側までカリッと焼けます。余熱を兼ねて、ピッツアァ・ストーンも200℃くらいに熱しておきます。
カルツォーネはイタリア語でズボンという意味です。包み上げた形は巨大な餃子そのもの。
ペストのピッツァとともに、230℃で10〜15分で焼き上げます。
ペストのピッツァは無精してカルツォーネと一緒に焼いたので、ちょっと、焼き過ぎ。バジルの葉緑素が焦げ茶色に。(TT)
端っこのペストが焦げちゃいましたね。でも、中心部分は綺麗な緑を保ってます。専用のピッツァ・カッターならピッツアァ・ストーンの上でもサクサク切り分けられますよ。
焼き立てのカルツォーネは切ると中からチーズがとろけ出します。
熱々ですので、食べる時に要注意です。ピリッと辛いルッコラと一緒に食べると美味しいですよ。
3日続いたリコッタチーズ(カッテージチーズ、パニール)つながりのインド・イタリア料理ご紹介となりました。
酪農文化の国々の料理には共通性があるということと、同じフレッシュチーズでも国によって使い道にはは差があるということをお伝えしたかったのです。
【ピッツア回顧録】です。 お時間の許す方だけお読み下さい。
フォカッチャの原型からナポリで発展を遂げたピッツアですが、文献によると、イタリアでトマトが食用として普及する18世紀以前は、バジルとチーズくらいを乗せただけのビアンコタイプのピッツアでした。やがて、オレガノとニンニク風味のトマトソースをベースとしたマリナーラが誕生します。マリナーラとは船乗り風という意味で港町ナポリの象徴的なピッツアとなり各地に広まります。その後、19世紀末、イタリア統一を果たした時の王女マルゲリータお気に入りのピッツアが作られ、彼女の名前が冠されました。イタリアの代表的なピッツア、マルゲリータの誕生です。トマトの赤、モッツァレラの白、バジリコの緑がイタリアントリコロールであったことも定着した重要な要素であったでしょう。
このように初期のピッツアには肉やシーフードなどを華やかに飾り付けたものではなく、庶民が安く、手軽に立ったまま食べられ、それでいて腹に溜まる優れた食品だったのです。現在でも4つ折りの立ち食いピッツアもありますが、美味しいピッツアを食べたい時はピッツェリアに出向き、石窯の焼き立てを頬張っています。店の中ではナイフとフォークを使って食べてましたが、ピッツアが正式な食事となることはほとんどなかったような気がします。何か日本人にとってのラーメンと似たような感じがします。もっとも私はラーメンが立派な食事代わりになることもしばしばですが・・・
日本にピッツアが普及したのは二つほどの段階があったように記憶しています。戦前のことはわかりませんが、子供の頃の東京では、ニコラスやシェーキーズというピザハウスが既にあり、よく食べに行っていました。確かシェーキーズはランチタイムには値段は忘れましたが、食べ放題があって、いつも勢いよく挑むのですが、2枚くらいでギブアップしていました。このようなピッツア専門店が1970年代辺りから都内にも増え、それとともにピッツアもハンバーガー並みに普及していったようです。ただ、この頃はピッツアではなく、ピザもしくはピザパイと言っており、アメリカカンスタイルのパン生地のようなピザでした。だから、2枚も食べると最後の方は耳の部分が重く感じ、ジュースで流し込んでいました。
第2段階は1985年に登場した、いわゆる宅配ピザです。東京ではドミノ・ピザが先駆けだったようです。宮城では地元の宮下さんが1986年に旗揚げしたストロベリーコーンズが第1号のようです。それまで家庭で焼き立てのピザを食べることは、自分で作れる料理好き以外は不可能でした。それが、電話1本で届くようになったのですから、便利な世の中になったものです。しかも、それ以前のピザだけではなく、薄焼きカリッのイタリアンタイプも常備するようになり、やっと、日本にもピッツアが広まるようになったのでした。それに、トッピングの種類が豊富なことには、パンフを見るたびに驚かされます。麻婆豆腐が乗ったピッツアなんてイタリア人もきっとビックリでしょうね。
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