青葉城本丸で牛たん定食(前編)
カテゴリー: 外食:焼肉・ホルモン
仙台藩の初代藩主伊達政宗の騎馬像です。すっかり変わってしまった御城下を眺めて何を思われているのでしょうか。
ところで、私が生まれたのは、青葉城の川向かいである琵琶首丁、現在の大手町です。もっとも生み出された時は北四番丁の東北大学病院でしたけど。^^ 両親は琵琶首丁の祖父の家に同居していたのですが、まだ、私が幼いうちに転勤で東京に移り、その後も関西、そして再び東京と東海道を往復するようにしながら、暮らしてきました。
従って私には故郷が三つもあるのです。東京や関西にいる時も夏休みは祖父の家で過ごしましたので仙台には夏の思い出しかありません。一日中、広瀬川で遊び、どこの瀬でオイカワが釣れて、どこの淵に置き針を仕掛ければウナギやギバチが釣れるとか、川を熟知したカワウソのような子供でした。
その頃の広瀬川には、まだカジカガエルが棲んでいて、夜は寝床で川のせせらぎとカジカの美声を聞き、青葉山に登る車のライトが木々の間から見え隠れするのを眺めながら微睡んだものです。そして、祖父から昔のお侍さんは毎日あの山道を歩いてお城に登ったのだと聞かされて、子供心にも大変だったんだなぁと関心したのでした。
考えてみると、就職してこちらに戻ってから仙台を離れていた年月とほぼ同じくらいの時間が流れましたが、夜の国分町以外、仙台の裏町や青葉山周辺をじっくり歩いたことがありませんでした。今まさに仙台・宮城デスティネーションキャンペーン推進中でもありますので、観光客になったつもりで少し城下町仙台を巡り歩いてみたいと思います。もちろん、食べ物ブログですので美味しいものを見つけながらですので、ご安心下さい。
まず御城下を巡る前に青葉山に登って本丸から眺めてみたいと思います。観光客のつもりで仙台駅前からループルバスに乗り込んでみます。
乗り場は仙台駅西口のペデストリアンデッキを渡り、バスプール15−3番となります。(15番乗り場には複数あります。)
ループルバスは仙台市の中心部と観光スポットを15〜20分間隔で循環するバスで、1日乗車券600円を買えば、乗り放題、乗り降り自由となります。詳しくはこちらをご覧下さい。
1日乗車券はバスの中でも買えますが、乗り場には乗車券販売所があります。1回乗車券は250円で、バスを降りる時に支払います。1回乗車券はどこで乗ってもどこで降りても250円です。
ループルバスはクラッシックなデザインで、楽天カラーのクリムゾンレッドをベースにしており、紺色や緑色のツートーンカラーの車両もありました。
車内も味わいのある木造建築風でレトロな雰囲気を出しています。
仙台駅を発進したバスはケヤキ並木の青葉通りを西に進みます。
青葉通りは戦後の復興計画で作られた道路です。当時としてはかなり幅広い道路で、現在の交通量を予測して計画されたのだとしたら、関係者の方々には相当の先見の明があったと言えそうです。青葉通りという名称は河北新報社が愛称を募集し、最も多かったのが青葉通りだったとのこと。青葉通りのケヤキはすっかり市民に愛されていて、工事の度にケヤキの撤去反対の声が上がります。
青葉通りは仙台駅近くで10°ほど曲がりますが、この件を巡って立ち退きや利権が絡んで仙台市議会を巻き込んだ大論争があったそうです。この事件を「直曲問題」と言ったそうです。
バスは仙台高等裁判所の横を走り、米ヶ袋を経由して霊屋下の瑞鳳殿入り口に止まります。
こちらで何人かの観光客を降ろして、評定川原橋を渡り、青葉城へと向かいます。瑞鳳殿は伊達政宗が祀られている菩提で、実際、彼の遺骨が等身大で発掘されています。
ところで、このバスの運転手さんは青柳さんという方で、優しい声に笑顔が素晴らしかったです。
発進の度に「バス、動きまぁ〜す。」と注意を促し、降りるお客、一人一人を笑顔で見送ります。運転手さんのユニフォームもホテルのベルボーイさんみたいで可愛いですね。
さて、今日は歩いて登城するつもりですので、大橋を渡ったところでバスを降ります。
大橋は子供の頃の川遊びの思い出に背景として必ず登場します。この橋は何度も架け替えられ、現在の橋は昭和13(1938)年に架けられた鉄筋コンクリート製です。灯籠が装飾されているのが如何にも大手門に続く橋という感じです。上流を望むと、カーブのところが深くなっており、女淵といいます。昔は絶好の釣りのポイントでした。
大橋を背にして、西に進むと左手にかつてのお堀が見えてきます。長沼と五色沼です。このお堀に囲まれた平坦部がかつての三の丸で現在、仙台市博物館となっています。
昔の冬は今よりずっと寒くて、お堀には厚い氷が張ったそうです。私の父親はここでスケートをしたことがあると言っていました。
青葉城の本丸への登り口にはかつて大手門があったのですが、戦災で焼失しました。大手門の脇にありました隅櫓(大手門脇櫓)は昭和42(1967)年に復元されています。
この大手門跡の方に左折せず、まっすぐ進むとかつて二の丸があったエリアです。現在は東北大学の川内キャンパスです。
隅櫓を後にして、少し登ると中の門(寅の門)跡が見えてきます。
この門は大正年間に取り壊され、現在の知事公館正門に移築されました。 その姿はこちらでご覧頂けます。
本丸への道路は八木山動物園やベニーランドへも通じていますので、交通量はかなり多いです。ですけど、遊歩道も整備してありますので、安全に登城することが出来ます。
途中で次のループルバスに追い越されました。まだ、登り始めてからたった10分ですけど、傾斜がなだらかで思っていたほどではありません。
すると、ほどなく、本丸北東角の石垣が目の前にそそり立ちます。上の方で反り返っていますね。
最後に修復されたのは平成9〜16年ですが、この時の発掘調査で、内部に時代の異なる二つの石垣が存在することがわかりました。
石垣に沿って歩くと、まもなくかつて本丸入り口である詰の門(つめのもん)跡に行き当たりますが、現在は護国神社の鳥居があります。
この鳥居をくぐって少し登ると本丸ですが、車は入れません。車で来た場合は、さらに進んだ裏手にある埋門(うづみもん)跡から入ります。本丸には有料駐車場があります。でも、なんで城址に護国神社なんでしょうか。戊辰戦争後、官軍に占拠され、後に明治政府の東北鎮台がここに置かれたためかも知れませんね。
やっと本丸の広場に着きました。といっても大手門跡から実質歩いたのはたった10数分。呆気なく着いてしまって拍子抜けでした。
子供の頃より、ここを歩いて登るのは大変だろうなと思いこんでいましたが、週末、犬の散歩で歩く裏山の方が時間も距離も体力消費も3倍はあります。右は先ほど見上げた本丸北東角の石垣から眺めた城下の北西部です。あの高いビルは広瀬町のライオンズタワーでしょうか。
ここまでの道程を地図で振り返りますと下図のようになります。
右下の大橋から二の丸に向けて進み、左に長沼と五色沼を見ながら、隅櫓で左折、そこから登りになります。途中、中の門跡を 過ぎて左に大きく回ると本丸北東の石垣が現れます。それに沿って進むと、大きな鳥居がありますので、そこから入ると本丸となります。
本丸から城下を見ろ降ろす初代藩主伊達政宗の騎馬像です。この像は3代目です。2代目はコンクリート製の立像で、現在は大崎市の岩出山城に移されています。なお、初代は鋼製ですが、戦時中に金属として供出させられました。しかし、胸から上を残しており、現在、仙台市博物館に展示されています。
伊達正宗は米沢城で生まれましたが、城主になってから一揆扇動の嫌疑をかけられ、豊臣秀吉によって減封された上、玉造郡岩出山城(宮城県大崎市岩出山)に転封させられました。関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得てかつて国分氏が居城していた、ここ千代城(後に仙台城)に移ったとされています。
東側の崖と広瀬川が守りを固める強固な山城だったのですが、正宗の子、二代藩主の伊達忠宗が山道の往来の不便を考慮して、前記の二の丸を麓に造営し、こちらで政務を行うようになったそうです。従って、かつてのお侍さんも正宗の時代を除けば、毎日、山を登らなくて済んだですね。
現代の御城下を正宗が見たら、どんなに驚くことでしょう。それにしてもここからの眺めは絶景です。夜景も相当綺麗そうですね。
仙台の中心部が一望でき、仙台の広さが把握できます。高いビルがなければ、城下の隅々まで手に取るようにわかります。遠く仙台湾も見ることが出来、この当時の人間の方が現在人より日本の広さを正確にイメージできたのではないでしょうか。特に正宗は朝鮮半島にも出兵していますので、本州の大きさを体感しているはずです。
騎馬像の後方には昭忠塔があり、頂上で巨大な青銅製のトビが羽ばたいています。
この塔はなんと明治35年の竣工で、それ以前の戦没者の慰霊のために建てられました。このトビが広瀬川や対岸の祖父の家からもよく見え、大橋と同じく我が年少期のノスタルジーなのです。
私は自分のルーツというものに全く関心がないまま、現在に至ってしまいました。冒頭に私は琵琶首丁で生まれたと書きましたが、祖父は元々ここに住んでいたわけではなく、伊達藩の中堅武士が住んでいた東三番丁に屋敷があったそうです。戦後の都市計画で住宅地が周辺部に散り散りに移されてしまったのでした。そう言えば、祖父の葬儀の際にも市長からの弔辞に「○○家は代々伊達家に仕え・・・」との一言があったことが思い出されます。伊達家は我が祖先の主君であったかと思うともっと早く、登城し御城下巡りもするべきだったと反省もしています。
ちょっと郷愁が加わって長くなってしまいました。ここで一旦区切って、次の記事で本丸の美味しいものをご紹介しますのでどうぞお許し下さい。



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