【御城下探訪:堤通】陶芸の里を訪ねる(前編)
カテゴリー: 外食:居酒屋・割烹
明治時代前期の堤町を描いた図。中央後方に堤焼きの登り窯が見えます。堤町は仙台城下の陶芸の里でした。
先日、一念発起して城下町仙台を少し見つめ直してみようと思い立ちました。その取っ掛かりとして、まず、青葉城本丸に登城し、御城下を鳥瞰してから、巡り歩こうということで、大橋から本丸まで残された史跡を辿りながら歩いて参りました(関連記事)。
仙台の城下町は開府当初より、伊達政宗が陣頭指揮を執り、精力的な街作りと神社仏閣の造営が進めてられています。徳川家康が天下統一を果たし、正宗は天下取りの野望を諦めて藩内整備に心血を注いだとされています。
大手門から大橋を渡って、塩竈や松島に向かう主要幹線道路の大町には一番手前に上方の豪商を配置し、それに続いて米沢や岩出山から正宗に付き従ってきた譜代商人の街を割り出しています。その大町の南北にも譜代の専門店街が集められ、各種専売権が与えられています。肴町、立町、南町、柳町、荒町(ほどなく南に移転)などが譜代の商人町です。
この大町は城下を南北に貫く奥州街道(現国分町の飲み屋街)と直行し、その交差点を芭蕉の辻と呼んでいました。なぜ芭蕉の辻と言うのかは諸説ありますが、少なくとも俳聖松尾芭蕉とは関係ありません。奥州街道の東側には、それに平行に東一番丁から番号順に東二番丁、東三番丁・・・と東に向かって城下町が拡大しています。これらの北端は定禅寺通で南端はだいたい現在の荒町付近となっています。
一方、北に向かっては、市役所裏の北一番丁から同じく番号順に北十番丁まで割り付けられています。町と丁の違いですが、町は足軽、職人、商人の住むエリアであり、丁は武士の屋敷を配置するために造成したそうです。町も丁も通りの両側に沿った区域となりますが、特に東・北の番丁は長さがあり、著しく細長いエリアとなります。町や丁の他に○○通という町名もありますが、これは○○に通じる沿道の町と言うことになります。現存する地名では木町通や堤通、椌木通などがありますね。
今後、少しずつ時間を作って御城下を巡り歩き、僅かに残された歴史を肌や臭いで感じ取ってみたいと思います。今回は記念すべきファーストミッションとして北一番丁から北上する堤通を探策してみたいと思います。その理由はこの通が昔、堤のあった堤町に繋がっており、そこで盛んに生産されていた堤焼きの窯も以前より訪ねてみたかったからです。もちろん、食べ物ブログですのでオチは美味いものですからご心配なく。ただ、今回も少し長くなりそうで、3編の最後が食べ物ネタとなります。
出発点の北一番町と堤通の丁字路です。県庁を背にして立っています。この辺りに昔の空気を感じるのは無理のようです。
丁字路、、、これは、ていじろと読むのですが、今はアルファベットでT(ティ)字路と呼ぶ人もいるようですね。ですから、T字路が正統だと思っている人は丁字路(ていじろ)と聞くと発音が悪いなぁと思ってしまうのでしょうね。
そこからもう一丁北に進みますと、堤通と北二番丁の交差点です。ここには辻標が立ってます。
この辻標は仙台市制88周年記念事業(昭和52年から平成6年)で城下の辻に88基設置したものの一つです。この辺りには美味しいお店も多く集中しています。この交差点から少し進んだ右手にある上杉21ビルには、市内に展開している中嘉屋食堂チェーンの総本山、中華屋さんや新進気鋭の若手親方が腕を振るうおとな飯和(かず)さんが入っています。
ここは堤通りと北四番丁(作並街道)との交差点です。北西角が宮城県酒造会館となっています。
まだまだ、昔の香りは感じません。
北六番丁の交差点は農学部の南西角です。これを越えると現在の堤通雨宮町となります。
左角に見える長久ビルの1階には上海・薬膳料理の上海王飯店さんと焼き鳥のかどやさん他が入っています。
左に農学部の木々が連なり、少し時代を遡った気がします。
磐上・雨宮神社が農学部の食い込むように祀られています。この神社は源義経ゆかりともされていますが、明治期以降にここに支倉通りから遷宮されたようで、二つの神社が合祀されています。
ここは北八番丁の交差点です。ここから先は現在の昭和町となります。
この辺りまで来ますと生け垣のある住宅もちらほら見受けられます。
北八番丁の交差点過ぎて、すぐ右手に素敵な横丁を発見。仙台浅草です。
居酒屋さんや飲食店が集まっていそうですね。♪
覗き込みますと昔懐かしの横丁がずっと続いています。正面にそびえ立つのはライオンズタワー仙台青葉ですね。
東京の月島や勝ちどき辺りの裏町とも似ています。提灯風の看板には、であいといこいの街ですって。夜になったらよさげですね。このミッションが無事に終了しましたら、必ず戻ってきて探索しますので、ご期待下さい。
仙台浅草入り口を通り過ぎて、200mほど進みますと、奥州街道にぶつかります。かつて、堤通は堤町にあった堤(溜め池)まで行き着いたそうです。
現在の堤通はここまでですが、ここを左折してさらに堤町に向かって奥州街道を進みます。
仙山線の踏切を渡ると、にわかに緑の多い並木道になります。
この踏切のすぐ右手が北仙台駅となります。
その少し先で梅田川を渡ります。橋のたもとに辻標がありました。
辻標には奥州街道・堤町とあります。堤町内の奥州街道という意味でしょう。やっと、堤町に入ったようです。
ここから、緩やかな坂を左にカーブしながら登ります。
この辺りには、昭和の町並みがまだ残っています。
その少し先に、松川ダルマ、堤人形の文字を発見。通りの先にはもう国道4号線が見えています。やっと、堤焼きの里に到着です。
お店の周囲にはつつみのおひなっこやと書かれていますね。堤焼きというと人形を思い浮かべますが、もしかしたら、食器もあるのではないかというのを確かめるのも探索の目的なのです。
このお店の隣に佐大ギャラリーという看板の建物がありました。
外から見る限りは、昔の荒物屋さんなのですが、果たして食器は見つかるのでしょうか。
やっと目的地に着きましたが、長くなりましたので、一度ここで区切ります。堤焼きのご紹介は次の記事にさせていただきます。
← ランキングに登録中です。クリックでご声援お願い致します。

コメントの投稿