信州高遠そばを作ってみました
カテゴリー: 料理:麺類

先週、福島県下郷町にあります大内宿に行って参りましたが、そこで高遠そば(ねぎそば)なるものを食べてきました。長葱1本を箸の代わりにして食べる変わった風習のお蕎麦でした。でも、これは最近の大内宿で観光の目玉として開発されたものでした(関連記事)。
ところで、高遠とは会津藩の初代藩主保科正之の故郷、信州高遠藩のことです。ここも蕎麦が有名で保科正之は会津へ転封の際、蕎麦職人を連れてきたとされています。それでは、保科正之が食べていたそばはどのようなものだったのでしょう。なお、高遠そばは大内宿で名付けられたもので、本家の高遠では単にそばと呼んでいたそうです。でも、最近では逆輸入で本家でも高遠そばと銘打って宣伝するようにもなったらしいですね。
その御本家の高遠における伝統的な蕎麦の食べ方は高遠大根という辛み大根の汁に焼き味噌を溶かし、ねぎを薬味として加えたものだそうです。今でも高遠の山間部ではこうやって蕎麦を食べているそうです。長野県出身の先輩宅でいつだったか、釜揚げうどんを大根おろしの汁に味噌を溶かしたもので頂いたことがありましたから、あちらではこの食べ方が広く普及しているかも知れません。
それでは高遠の伝統的な蕎麦を作ってみます。ただ、高遠大根が手に入らないので、我が家で栽培している遠野の暮坪かぶと同じく青首大根を使います。
辛味は暮坪かぶで出せるのですが、やはり蕪ですから、水分が少ないので大根の水分を借りるのです。蕎麦は更科風の半生麺、味噌は信州の赤を用意しました。他に長葱とだし汁少々必要です。
大きな暮坪かぶと小さめの青首大根を並べるとよく似てますね。
でも暮坪はやはり蕪です。葉っぱの形が決定的に異なりますね。蕪は丸葉で大根はギザギザが入ります。
最初に焼き味噌を作ります。アルミホイルに味噌を塗って、オーブンか魚焼きコンロで焙ります。

右は少し焦げすぎですが、味噌に香ばしさが加わりました。すり胡麻を混ぜてもよいそうです。焙った味噌は擂り鉢で滑らかになるまで擂っておきます。
続いて、暮坪かぶと青首大根を摺りおろしておきます。

さらに、だし汁も用意しましたが、高遠では茹で上がったそばの洗い水で割ることもあるそうです。
まず、擂った焼き味噌をだし汁と大根おろしの汁でよく延ばし味を調えます。
それにおろした暮坪かぶと刻んだ長葱を加えて、そばつゆの出来上がりです。このつゆを高遠ではからつゆと呼ぶそうです。ちなみに、現在の江戸前のそばつゆはあまつゆと呼ぶそうです。
さて、食卓に運び頂いてみましょう。副菜にはゲソ天を用意しました。なんか山形風ですね。^^
つゆの味加減がよくわからないので、焼き味噌やだし汁、薬味類も用意して、そばを食べながら最終調整をするつもりです。今日は信州の蕎麦の食べ方で、遠野の暮坪かぶを使い、山形名物のゲソ天を添えて、全国蕎麦処の良いとこ取りや〜。
そばは白い更科風です。市販の半乾燥ですから二八でしょう。
蕎麦切りの初期には高価な小麦粉が入った二八や三七の方が上質だったようです。今日では十割の方を尊ぶ習慣が定着してますけど。
からつゆは味噌汁程度ではそばつゆにはならず、かなり濃い味にする必要があります。
食べながら、暮坪おろしや刻み葱を足しながら食べ進みます。
このからつゆには、蕎麦をどっぷりと浸して頂きます。
この食べ方が蕎麦切りの原点なんでしょうね。醤油が庶民の物になるのは、まだ先のことです。
ついでながら、ゲソ天ですが、ちょっとしたコツがあります。
ゲソは吸盤の殻などを取り除いて、よく掃除しておきます。足を3〜4本ずつに切り離し、味醂醤油と生姜のしぼり汁に絡めて1時間ほど下味を付けます。紙袋に片栗粉と薄力粉を半々に入れよく振っておきます。これに下味の付いたゲソを水気を切ってから入れ、袋を膨らませながらよく振ります。粉が馴染むまで10分ほど置いてから、余分な粉を落としてから180℃でゆっくり揚げます。
蕎麦切りの本場、信州高遠の伝統的な食べ方は江戸前の粋を重んじるスタイルとはかけ離れていますが、いかにも食事としての蕎麦を食べた満足感があります。大根の汁には炭水化物の分解酵素ジアスターゼが含まれているので消化を助け、胃もたれを防ぎます。これも非常に合理的な組合せだったわけです。
余談になりますが、蕎麦のように香りが弱く、味の淡い食べ物にも葱を使い、茹でたて細菌類の汚染が少ない蕎麦にも山葵や辛み大根などの刺激を取り入れるのは、やはり日本人が淡泊な味の食べ物に香りや辛味を加えることにより美味しくなることを知っていたからなんですね。豆腐に薬味が付くのも同じ意味合いでしょう。



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