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【御城下探訪:榴ヶ岡】伊達藩の食文化

カテゴリー: 未分類

 先日、西公園(桜ヶ岡公園)の源吾茶屋で雑煮を食べてきましたが、西公園と来たら、東公園も行かねばなりません。でも、東公園ってどこにあるのでしょう。実は榴岡公園東公園だったのです。東西の公園ともに桜の名所ですが、榴岡公園はソメイヨシノではなく枝垂れ桜が有名なのです。


 


 

 

 榴ヶ岡は伊達政宗が岩出山から仙台に居城を移す際、その候補地にもなりました。
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 4代藩主伊達綱村がこの地に釈迦堂を建立し、その時、桜や松など千本あまりを植樹したとされています。その後、ここは四民遊覧の地として現代の公園の原型をなしていきました。

 

 

 


 

 

 


 はまだ1ヶ月も先ですが、はちらほら咲いています。
tutujigaoka3.jpg tutujigaoka4.jpg
 南側の斜面には梅林と言うほどではありませんが何種類かの梅が植樹されています。

 

 

 

 

 

 

 

 公園の北東角には仙台市歴史民俗資料館があります。
tutujigaoka5.jpg
 これは明治期の木造洋風建築で、県内では最古のものです。旧第2師団・歩兵第四連隊の兵舎として使われていました。この近くの病院に1ヶ月近く入院していたことがあるのですが、よく抜け出して公園やこの資料館見学に来たものです。^^

 

 

 


 

 

 

 

 常設展では昔の農家や町場の暮らしの様子が勉強できます。自分の子どの頃にもまだあった道具があったりして、流れた時を感じます。
tutujigaoka6.jpg tutujigaoka7.jpg
 
農家のコーナーでは仙台近郊でかつて使われていた農具や農家の家具などが展示されています。町のコーナーでは古地図の展示や駄菓子屋「一銭店屋」を再現した一角もありました。これらの他に堤人形、玉虫塗り、仙台筆、仙台竿などの伝統工芸品の展示もありますよ。

 

 


 

 

 

 

 


 

 かつての農家のダイニング兼リビングが再現されています。
tutujigaoka8.jpg tutujigaoka9.jpg
 でも、テレビがありますので昭和30年代頃のイメージでしょうか。保温カバーに入ったお櫃や囲炉裏の自在鈎がいいですね。将来、囲炉裏のある家に住んでみたいのですが、火の世話や煙対策は慣れるまで大変そうです。囲炉裏を囲んでそれぞれのお膳でご飯を食べる光景はまだ日本に残っているのでしょうか。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 これはイミテーションですが、焼きガレイをこうやって保存したのですね。このカレイは口の形からマガレイのようですね。
tutujigaoka10.jpg
 カレイの焼き干しは伊達藩の内陸部まで輸送され、ハレの日のご馳走になっていたようですね。江戸時代には既にこのような焼き干し物だけではなく、冬期には鮮魚もかなり内陸部まで輸送されていたようです。

 

 

 

 

 

 


 コールドチェーンのなかった江戸時代における水産物流通には以前から興味があって、色々紐解いていたところですが、先日、貴重な文献に巡り会いました。愛知淑徳大学の千葉善根教授がまとめられた仙台・伊達藩の食文化という論文です。この中に文政12年(1829)、近江の豪商が伊達藩内の取引先を訪問して回った記録(中井源左衛門光熈旅日記)が紹介されており、行く先々で受ける接待の献立がお供の者によって克明に記載されています。

 

 


 藩内での行程は仙台支店(大町)を11月10日に出発し、松島、松山、湧谷、柳津、登米、藤沢(現岩手県)を経由して気仙沼に2週間ほどかけて到着します。復路は折壁、黒石、水沢、前沢、一関(現岩手県)を経て、金成、築館、古川、岩出山、中新田、七北田経由で12月中旬(38日間)に仙台に戻るものです。そこで、海から離れた内陸部とその他の地域でお膳に並ぶ水産物にどのような違いがあるか整理してみました。

 

 

 


 内陸部とは便宜上海から約十里(40Km)以上離れた奥州街道沿いの水沢から築館までの地域としました。そして、それぞれの地域に滞在中、振る舞われた水産物(上位20種)の種類ごとの回数を求めました。ただ、滞在日数が異なるので、その回数を滞在日数で除して、100をかけたものを振る舞い指数として、下表のようにまとめて比較してみました。

 

 

 

   伊達藩内の海から十里地域内陸部における水産物振る舞い状況

 

No.

食品名

海十里

内陸部

鮑 

31

36

鯛 

27

36

はも

27

36

すい 

23

27

 蛸 

19

36

15

45

鰈 

15

27

昆布

12

海鼠

12

36

10

あゆ

12

18

11

蒲鉾

12

12

鮒 

18

13

 さい 

14

筋子

18

15

金頭

16

水鰈 

17

牡蠣 

18

18

赤貝

18

19

みるくい

18

20

どんこ 


 

 

 この表で驚かされたのは、アワビやタイのような高級魚貝類が内陸・臨海問わず、実によく使われていることです。また、ハモ(アナゴ)やスイ(ソイ類)などの鮮魚も内陸でもよく振る舞われていました。むしろ、頻度は内陸部の方が高いくらいです。中井源左衛門様ご一行は伊達藩内を旅行中、アワビやタイを3日に1回は食べていた計算になります。近江の中井家といえば、大名にも融資するほどの大富豪ですので、接待する側も相当に力が入ったのでしょう。従って、これらは庶民の日常食ではありませんが、金を積めば海から40Km以上の内陸部でも鮮魚が手に入ったのですね。ただし、この旅は11月から12月に行われており、これが真夏ともなれば、使われる水産物もずいぶん変わったことでしょう。

 

 

 


 もう少し、表を注意深く見ていくと、やはり内陸部はサケや筋子、フナなどの内水面の幸も多く使われ、民俗資料館にも展示されていた焼きガレイもよく登場します。それと、カキやアカガイなどの貝類も生きたまま長距離を運べるので内陸部の方が使用頻度が高かったです。ドンコ(エゾイソアイナメ)やカナガシラ、ミズガレイは足が速いのか内陸部では見られませんでした。乾物や加工品は輸送しやすかったと思いますが、内陸ではコンブやカマボコは出されていません。ただ、海鼠(乾燥)だけは内陸部でも振る舞える高級海産物なので他の地域の3倍くらいの頻度で登場しました。

 


 

 


 今、話題の福井県小浜市から京都に海産物を運んだ通称鯖街道も18里(70数Km)ありますが、塩を振っているとはいえ、腐敗の速いサバを寝ないで歩き通して運んだそうですから、伊達藩内の奥州街道沿いの街場に古くから生鮮海産物が届いていても不思議ではありませんね。ただ、さすがにみちのくでも会津や米沢、山形盆地ともなると海産鮮魚は無理で、先日ご紹介したからかい棒たら身欠きにしんのような乾物としてしか運べなかったのでしょう。

 

 


 

 

 仙台湾三陸漁場を間近にいだき、気候温暖な仙台平野に立地する伊達藩はまさに食材王国だったのですね。時が下って現代では、その豊かな自然も少しずつ変わって来てはおりますが、大切にすれば未来永劫、持続的な資源利用ができるはずです。私たち消費者サイドも単なる地産地消だけではなく、持続的利用に取り組んでいる天然食材や環境負荷が少ない食品を見極めて購入するようにして、そのような食産業を買い支えていくことが大切だと思います。

 

 

 

 

 

 


仙台市歴史民俗資料館 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/rekimin/index.html

 

 

  • 所在地  :仙台市宮城野区五輪一丁目3-7
  • 電話        :022-295-3956 
  • 営業時間 :9:00~16:45
  • 定休日    :月曜(休日を除く)、休日の翌日、毎月第4木曜日、年末年始、
           その他(HPの利用案内でご確認)
  • 入館料 :一般・大学生 200円 高校生 150円 小・中学生 100円   
  • 駐車場    :公園有料利用48台(100円/時間)

 

 

 

 

 

 

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びーえむあい

URL | [ 編集 ] 2009/03/14(土) 12:28:45

資料館には何度か行った事がありますが…
貴重な文献と出会う…
そこに目がいくところに改めて尊敬いたします。
興味深い話ですね、山間部ではどうだったのだろう?などと
想像しながら拝見しました!

サエモン

URL | [ 編集 ] 2009/03/14(土) 15:45:44

  びーえむあいさん こんにちは。

 あ、すいません。文献を発見したのは、ネットで伊達藩の食文化を
調べていた時で、資料館ではありませんでした。紛らわしかったですね。

 内陸部でも街道筋は輸送がしっかりしていて、新鮮な海産物が古くから
運ばれていたのでしょう。ただ、山間部ともなると、さすがに生ものは
駄目でしょうね。その代わり、スルメや身欠きニシンの巧みな料理法が
発達します。

 この辺の掘り起こしって面白いですよね。だから、私は日本中が
アメリカン・ジャンクフード一色になるのが恐いのです。あっても良いのですが、
ともすると伝統食が駆逐されていき、子供達もそれを忘れてしまいます。
世界で見直されている日本食を誇りに思いたいものです。

 先日、TVでニューヨーカーに日本のお弁当が人気との映像が流れて
いました。箸で鯖の塩焼きを器用に食べていましたっけ。 ^^

unico

URL | [ 編集 ] 2009/03/14(土) 16:12:53

こんにちわ。東公園は榴ヶ岡公園だったのですね。初めて理解しました。
西公園へは、お花見や買い物しながらお散歩の愉しみで訪れますが、
東公園へは、ついでの機会が見当たらず未知のままでした。
今回もまたサエモンさんの探求考察記事でしたので
私の期待するところですので楽しく読ませていただきました。
歴史民俗博物館の写真には目に優しく懐かしい光景に嬉しくなりました。
私の生家には、畳1畳分の大きさの囲炉裏があり、季節になると、
囲炉裏で串に刺した川魚を遠火で焼いて保存食を作っていました。
10畳ほどの台所の天井にはその8割を占めるほどの焼いた魚が吊るされ、
その燻製のような特有の匂いが1シーズン続いていたのを覚えています。
梅の花、もう咲いたのですね。良い季節になりますね。

サエモン

URL | [ 編集 ] 2009/03/14(土) 21:46:48

  unicoさん こんばんは。

 なんでも、とことん突き詰めないと気が済まない
習性に困っています。^^

 unicoさんのご実家には囲炉裏があったんですか、
羨ましいな。囲炉裏の扱いも素人では難しそうだし、
家の構造も最初から囲炉裏を組み込まないと上手く
行かないようですね。

 でも、惹かれますね。自分釣った魚を囲炉裏で焼いて、
竹筒の熱燗を飲む贅沢。一度やってみたいです。 

Myu

URL | [ 編集 ] 2009/03/16(月) 13:00:36

非常に興味深く、拝見しました。

食文化についは、今やどこでも、季節を問わず、多種多様な食材が
手に入るようになりましたし、食にかける時間の短縮も当たり前。
豊かである宮城の食を、この地に住んでいる私達こそが、
改めて理解する必要がありますよね。
伝統を知ること、伝えること。大事ですよね。

サエモン

URL | [ 編集 ] 2009/03/16(月) 22:57:55

  Myuさん おばんです。

 いやいや、単なる素人の歴史ロマンですよ。
でも、食べ物の変遷は興味ありますね。
今回の勉強で、江戸時代の人々も今と同じような
素材の美味しさを熟知していたのだと確信しました。

 今の日本では、世界中の美味が味わえますが、そこに
溺れては駄目だと思います。自分の育った故郷の伝統的な
味を誇りに世界で活躍するのが真の国際人なんだと思います。












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